ぬるい惰性

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吉澤嘉代子

吉澤嘉代子というアーティストをご存知だろうか。

 

知らないという人はまず「東京絶景」という曲のMVをYouTubeで聴いてみてほしい。
MVが終わる頃には浅く呼吸をしていたのを一度吐き直し、静かに深呼吸をしたのを覚えている。

初めて吉澤嘉代子の曲に触れたとき、心が揺さぶられ、呆然とした。

彼女の歌声は透き通り、どこか懐かしく、何処までもセンセーショナルなのだ。曲調や詞についても他に類を見ない吉澤嘉代子という人間の世界観が確立されているため、初めての感覚が体の中に取り入られているような不思議な気分でとても心地がよかった。と、同時に少し恐ろしかった。

 

しばらくして、すっかりと吉澤嘉代子に魅了され、ライブに行くことを決意した。

 


ーー5月某日、吉澤嘉代子のライブに行った。

彼女の歌声を初めて生で聴いたとき、彼女の顔を初めて生で見たとき、彼女のライブを初めて生で感じたとき、一瞬にして吉澤嘉代子という人間に引き込まれてしまった。


吉澤嘉代子は不思議なひとだ。


あの空間を作ってしまうのだから。


吉澤嘉代子のライブは寸劇であり物語でありエンターテイメントであり、その総てを吉澤嘉代子という表現者の力強い歌声と可憐な仕草で演出をしていた。


彼女の妄想も芸術の域に達していて、どこか可笑しく、どこか感慨深くさせるものがあり、ファンと吉澤嘉代子が一緒に作ったあの空間は、間違いなく最高だった。

当事者であるため自信を持って言えるが、こちらを休ませる暇もなく、溢れんばかりに吉澤嘉代子の世界観が放出される「吉ザ・ワールド」を是非一度は体感してみてほしい。

 
歌声に関しては前述のとおりだが、生で聴く歌声は想像を超えていた。

足のつま先から何かが体内に這い上がってきて、心臓を掴んで離さない、そんな感覚に陥ったのだ。

なかでも「一角獣」という曲を初めて生で聴いたときは、終始何かに心臓を掴まれて、ポンプのように握られてエネルギーが消耗していくのがわかった。しかしそれは全神経を集中して聴こうとしていた表れだったように思える。曲の最後にはフッと全身の力が抜けて充足感に満ちていたのを覚えている。

寸劇と曲の緩急に見事にやられたが、類稀なる表現力を持つ吉澤嘉代子というアーティストを目の当たりにした瞬間だった。

 

 

ーー10月4日。そんな吉澤嘉代子が新曲「残ってる」をリリースする。これは今までライブのみで音源化されていない曲だったが、遂に世に公開される。


単刀直入に、「残ってる」は吉澤嘉代子の真骨頂だと思う。

 

吉澤嘉代子の世界観でしか書けない詞と丁寧に掬うように表現する歌声。彼女の言葉選びはガラスのように脆く繊細で、それでいて力強い。

「朝帰りの女の子」を歌っている曲だが、この際感情移入するのに性別は関係ない。

男だから聴いても何も響かないと思って真摯に聴かないのであれば、きっとそれは吉澤嘉代子に骨抜きにされるのを恐れているだけだ。

 

詞にワンピースやネイルなど、女性特有のワードはあるものの、この曲は季節の変わり目の夜の刹那の出来事を、朝に沁沁と思い耽るさまを表現したもので、心の中でいつしか感じた「残ってる」という感覚、情景、想いを一気に蘇らせてくれる。

朝帰りの女の子の視点であることには違いないが、詞中の「昨日を生きていたい」「昨日を生きていた」のたった一文字の違いでここまで聴く人の心を揺さぶる事が出来る吉澤嘉代子の才能には、恐ろしいの一言である。


これが所謂、表現力というものではないだろうか。

 
あまり音楽に詳しいわけではないので声を大にしては言えないが、今のシーンは表現力のあるアーティストは数少ないように思える。この才能が、吉澤嘉代子という人間の世界観が埋もれてしまうのは本当にもったいない。もったいないというかそんな事はさせない。

 

「残ってる」

この曲に対する想いは相当なものであると感じる。聴き終えた後はしばらく、想いが曲に反映しているかのように儚く、力強く、耳に残る。

 

吉澤嘉代子が、自分の中に「残ってる」のだ。

 

 

ーー最後にMVのリンクを貼っておく。


吉澤嘉代子「残ってる」MUSIC VIDEO


聴くも聴かないも勿論自由だが、このブログはただ一リスナーとして吉澤嘉代子を知ってほしいという一心だけで真面目に書いた。

僕の想いも誰かの心に残って、吉澤嘉代子を知るきっかけになればいいと思う。きっと、そのうち「吉ザ・ワールド」に誘われるだろう。

 

 

おわり